2023年11月24日より、カイカイキキギャラリーではMADSAKIによる個展「This Used to Be My Playground」を開催いたします。
昨年末のカイカイキキギャラリーでの個展「Island Love」のクロージングと共に、自分の中でもひとつの章の終わりを感じたというMADSAKI。年が明けた元旦からスタジオに籠り、本能的な感覚と使命感に突き動かされながら、自分自身のために描き始めたという全く新しい作品群が、本展で発表するペインティングシリーズとなりました。
今回のシリーズに描かれているのは、作家が心を共にする仲間・野村訓市氏をはじめとするMILD BUNCHのクルー達です。
MADSAKIが足繁く通ったMILD BUNCHのパーティーの「DJブースの内側」という特別な場所から、作家が見つめてきた仲間たちの姿—ターンテーブルにむかう演者たち、ブースでくつろぐ親友、眼下で熱狂する観客たち、彼らにとってのプレイグラウンドがある東京の街、そしてDJブースからMADSAKIにテキーラボトルを手渡すヴァージルの姿まで—が描かれます。
MADSAKIは6歳から30歳までをアメリカで過ごしました。日本に戻ったあとはずっと東京に住み続けていますが、プライベートにおいては自身の家族以外には居場所を見つけられず転々としていて、東京は決してくつろげる場所ではなく、ホームタウンだとは思えなかったといいます。しかし、数年前にMILD BUNCHに出会い、初めて自分を受け入れてくれる場所、仲間たちを見つけたことで、ようやく東京にも居場所が出来た事で救われたといいます。
彼らと共に過ごすクラブでの時間は、長い東京での私生活で初めて見つけた心を許してリラックスできる大切な居場所となりました。MADSAKIはそこではDJブースの内側から、自身や友人たちのためのプライベートな記録写真を撮り続けていました。
そうして作家にとって心地よい居場所となったその場所は、友人のヴァージル・アブローと最後に会った場所にもなり、更にはそのパーティーの舞台となった渋谷のクラブ「CONTACT」も、オープンから6年の時を経た2022年に都市開発により取り壊され、失われてしまいました。
本シリーズでは、そのような切なくも儚い背景と共に、孤独を抱えた作家が辿り着いて仲間と共に過ごし癒された、
かけがいの無い居場所の記憶が夜の街の明かりに象徴されて描かれています。
今回の作品群は、作家にとって初めて東京の街を描いたシリーズです。
カイカイキキギャラリーの2023年の締めくくりの展覧会として、東京・元麻布で開催いたします。皆様のご来廊を心よりお待ちしております。
作家からのメッセージ
MILD BUNCHのペインティングシリーズは、ギャラリーに展示するために描き始めたものではなかった。ギャラリーがこういう絵には興味がないと思っていたからだ。だから、このシリーズはひたすら自分の記録のために、自分が死んだ後も残ればいいなと思い、描き始めた。
今年の5月末に村上隆さんが大事な話をしにアトリエに来てくれた。話をした後、彼は僕の最近の制作について尋ねてきた。僕は描いていたMILD BUNCHの作品をひとつひとつ見せ、それぞれの作品の背景を説明した。驚いたことに、彼はこのシリーズに感動し、僕がこの絵を東京で展示しなければならない理由を詳細に語ってくれて、胸が喜びでいっぱいになった。
元々、このシリーズはとある会話から始まったものだった。
ある日、僕の古き良き友人である訓が、渋谷の夜の街の明かりを描くことを勧めてくれたことから始まった。
「マサキ、前回の展示会のハワイの自然はもちろん美しいけど、街の明かりも同じくらい美しいよ。」
彼は微笑んだ。
僕は「???」って感じだった。
彼は続けた。
「僕らのプレイグラウンドだったCONTACTを覚えている?あそこは夜、いろんな人が集まる公園みたいだった。僕らが MILD BUNCH パーティーを開いたときも、君はいつも来てくれただろ。あの場で一体何をしてた。」
この瞬間に僕の頭の中で散らばっていた点と点が繋がり、僕は描くべきものを見つけた。
僕は行ったことあるすべてのMILD BUNCHパーティーの中から、“THE LAST DANCE AT CONTACT ”と 2018年の“VIRGIL ABLOH ”との忘年会パーティをテーマに選んだ。
ヴァージルの絵にまつわるエピソードは特に胸が熱くなる。
ヴァージルがDJをしているとき、満員のダンスフロアで踊っている僕を人ごみの中から見つけ出してくれた。彼はいつものヴァージルらしい笑顔を浮かべると、お気に入りのPATRONテキーラのボトルを手に取った。そして、一口飲むと、そのボトルを僕に渡そうと人ごみの中に腕を伸ばした。僕の周りの人は何度もそのボトルを奪い取ろうとしたが、ヴァージルは親切にも僕に渡すように言ってくれた。僕はそれを喉に流し込むと、すぐにヴァージルに渡した。その時が、彼を見たのも、一緒に飲んだのも、最後の時となった…
アメリカからこの街に来てから早19年経つ。何年経っても、僕は東京に居場所がないような、むしろ敵地にいるような気がしていて、全く馴染まずにいた。だから、この街を絵の題材にしようと思ったことは一度もなかった。
そんな中、数年前にMILD BUNCHに出会って、気持ちが若返った。僕と同年代で、彼ら以上にハードなパーティーをやっている人には会ったことがない。彼らはみんな大人で、温和で、自由気ままだった。そして、僕は彼らと遊びに行くためだけに、また一人で夜に出かけるようになった。プレイグラウンドに足を運ぶと、みんな僕をくつろがせてくれて、彼らを通して新しい友達ができた。そして、やっと、この街が僕の故郷であることを思い出させてくれた。
彼らこそが夜の街の明かりだった。
展覧会に寄せて(野村訓市)
僕らがパーティをする理由。
なんだろうな、楽しかったことは覚えているのだけど、
明け方、酒が残った頭はポンコツで、あっという間にその記憶は消えて、
翌日、あれはなんだったんだ?とまた同じことを繰り返してきた。
けれど、うなるベース、体を前へ前へと突き動かすドラム、
心を刻むようなカッティングギター、
流れるホーンに呪文のように聞こえるボーカル。
それはディスコだったり、テクノだったり、ダンスミュージックがあったのは間違いない。
ワアワアと聞こえる歓声や、ふらつく酔っ払い、
大きくなった話し声、そこら中で必要以上に繰り広げられるハグ。
夜のクラブでの感覚を説明するのは難しいけれど、それは子供の頃の公園に似ている。
砂場で知り合った、隣街の子と一瞬で仲良くなり遊んだり、駆けずり回った頃の。
そういえば夕方の5時には夕焼け小焼けのチャイムがなり、家に帰れと諭されたけれど、
クラブが終わるのも明け方の5時だっけ。
賑やかな夜は夢のように消え去り、明るくなった空を見上げ、
残された僕らは肩を組んで、カラスが群れる道玄坂を下って歩いた。
僕らがそんなたくさんの夜を過ごした渋谷の道玄坂はこの一年ですっかりと変わった。
工事現場の仮囲いに囲まれたかつての遊び場の横を通る度、
なんだか悲しい気持ちになる。あれは現実だっただろうか?
僕らの夜の公園はもう影も形もない。
そんな今はないクラブでの夜をMADSAKIが絵にした。
忘れてしまっていた瞬間がスプレー缶から噴射されたペイントの先に
キラキラと輝いて見えた。僕はそれを懐かしく、切ない気持ちで眺めたけれど、
それはただ昔のパーティを思い出したからなわけじゃなかった。
僕らは10代で夜遊びを知り、
最新の音を求めて20代に世界を旅し、
30代で、出会った仲間とパーティをし始めた。
もうポンコツでワイルドでもないし、
格好つけるより、笑って挨拶、
パーティをマイルドバンチと名付けた。
そのパーティで回したDJは全員マイルドバンチ、
世界中の仲間が東京に来た時には一緒に夜を過ごしてきた。
自分たちを育ててくれたパーティを
下の世代にも繋げたい。
40代になってからのパーティはそう思ってやってきた。
緩くて、来たい人が誰でもこれて、自分の居場所だと思える空間
いろんな音楽が鳴っていて、そこで自分の好きな音を見つけれる場所。
友達だけじゃなく、仕事をする人たちともほとんど酒を飲みながら踊る場所で出会った。
昼間の仮面を脱いで素の自分に戻った人たちと、1人で行ったクラブで出会い、
受け入れられたという恍惚に酔いしれながら、踊る。
光輝くダンスフロアでどれだけの出会いがあり、救われたかわからない。
今がどん底でも、孤独でも、人生の中で誰もが一度はそんな気持ちになったことがあると思う。
受け入れられた、自分の居場所が一瞬でもあったという記憶が。
僕にとってはそれがたまたま夜、酒と踊りと共にあったのだけれど、
MADSAKIの絵には、そんな瞬間を思い出させてくれる何かがある。
だから渋谷の夜を知らなくても、クラブなんて行ったことがないという人も
歳も国も関係なく、この絵たちは何かを思い出させてくれると思う。